ペットショップ・るんるん

DIARY

題名:責任を果たしている者が自由だ

2016年01月17日 by おかぴ

こんばんは~おつかれさまです。

さみー。

日曜日なんで、夕方はヨーキーのおてんばちゃん達をカットしたり、夜中はごそごそお店の事したり、みんなの寝顔見てたり、さみー。(笑)

先日、中学の時の後輩がお店に来てくれたらしく、ちょうど私も出たばかりで話ができなかったけど

一生懸命店長の話を聞いて、仔犬を迎えるかどうか考えていたようです。

うん。

あたしがいたらけちょんけちょんだっかもしれないね、けちょんけちょんの「けちょん」の一番最後から話してしまったかもしれないけど(笑)

うそうそ。

一緒によく考えよう。忙しいからなかなか来られないかもしれないけど、あたしも久しぶりにG●P行くわ(笑)

けちょんけちょんのけちょんは

あたしたちより先に確実に死んでしまうの、この子たちって。

その最期まで一緒にいて、お骨を拾うまでできるかどうか。

こいぬやこねこの時は、転がってるだけでかわいい。

でも、その子たちが年をとったら、かなしかったりさみしかったり、お世話が辛かったり、病院へかよわなければならなかったり。

決して途中でなげださず、断固たる決心をして迎えるか。

育て方とか必要な事とか、いつでも相談に乗るし店長も濵田さんもいるし、全部教えるから、あとは飼い主としてがんばって。

って、簡単に言うけど、すげーむずいから。

でも、楽しいよ。犬や猫と一緒にいられるって。

まじで、ありがとうだよ。

ま、またはなそーね(^_^)

犬を本当に飼うと言う事を知っている人間から迎えて欲しいね(^_^)

 

私は、もう何十頭と自分の犬や猫を見送ってきました。

悲しさやさみしさや悔しさ、思い出、楽しかったうれしかったてげうけた。

たくさんありました。

今までの子たちが残してくれた生と死は、私の財産であり、私の人間性を高めてくれた恩犬恩猫たちです。

本当に私の犬や猫になってくれてありがとうと思うし、私の犬や猫であったことが幸せであってくれたとこれからも信じて行こうと思っています。

最後はみな、ほとんどが病気で死にます。

病院へ通い、薬を飲み、手術を受けたり、食事の制限をしたり、副作用に耐えたり

これまで、一緒に生きてきた支え合ってきた家族であり仲間であることや、最期までそばにいることのありがたさ、残された時間の尊さがなければ、正気の沙汰ではなくなりそうになる事もたくさんありました。

一方で、こいぬ達も来ます、子猫たちもボロボロの猫ちゃんも来ます。

治るものは全部なおし、育てていく事は、まるで上へ上へ登って、うれしい楽しい可愛い、心配事もたくさんあるけれど救われる気がします。

でも、だんだん老いてゆく姿、治らぬ病や、立ち上がれなくなる、食べられなくなる、見えなくなる聞こえなくなる・・・

出来なかったことが出来るようになる子犬や仔猫の成長スピードと、残っていたもの出来ていたことが失われていくスピードは同じくらい早いと思っています。

あっという間に見事に成長してくれる姿。

あっという間に見事に天寿へ向かう姿。

尽くしても尽くしてもまるで、下がって下がっていくような感覚、体力も気力も実際失われていきます。

かんなの最期の手伝いを1か月以上している時、ぴあのの生きる時間が短くなり治療が苦しかった時、よっちゃんが何をしてもダメだとなった時などに考えた事でした。

特に、愛するかんなが目に見えて死期近づいている事が受け入れられない中、死にかけの生後2,3日の死にかけの、かなとかんのを育てていた時でもありました。

(かんのは、かんちゃんってこれからも呼ぶことができるかなって思って名づけましたが、一度もかんちゃんと呼んだこと、呼べたことはありません。かんなから名前をもらった、猫のかんの。かんなのように私にベッタリです。)

ちょっと気がふれていたのかもしれませんが、無理やり流動食をやる事も、ボロボロの皮膚に潰瘍が破裂して腐敗している、脱水している、とりあえず死期が近いと言う事ですが、冷静にほとんどできなかったんです。

その時に、助けてくれたのがはまださんでした。

はまださんにとっては、初めての中型犬で重かったし、汚すので大変だったと思います。

もう、食べられないのに私はあと1CC、あと2CCと口から泡をふいてブルブルをしてまき散らすのに、本当にかんちゃんと別れが近いと分かっていても、必死であがいてあがいていたんです。

はまださんは、もういいが~(^_^)

いいが、吐かずに食べたから(^_^)ほら、おしっこしたがね~と。

足が立たなくなってきたから、ハンズマンにいってマットを買おう。とか、本当に支えになってくれました。

一生忘れませんし、それを見ていた母もはまださんを心から信頼したと言います。

母も見ていられないくらい私のかんちゃんへの執着というか、あきらめられない私の姿だったそうです。

今思えば、かんちゃんは絶対にありがとうって思ってくれています。

最期までそばにいてくれてありがとうだと思います。

私が同じようにそう思っていますから。

かんなは8時間の痙攣のあと死にました。

母が最期にかんなに掛けた言葉は「かんちゃん、見事。見事よ。」でした。

かなとかんのが、かんなのベットの上でピヨピヨ遊んでいる写真も残っています。

その時、私、「真逆」のように感じるようになったんです。

誰かの死期のそばにおり、死んでしまってもそう感じてしまうようになりました。

でも、違う。

全員一緒の方向へ向かっている。

この世の生き物、生を受けてからは全員同じ方向です。

時間はすべての者に平等ですし

「生」と「死」は同じ尊さを持つと確信したからです。

それに、死へ向かう途中はこれまでの生の長さに比べればとても短いものです。

そして懸命に何かできる事はないかと考え、空回りする私を見上げるかんなのその大きな茶色の瞳が語ったのは

 

あいちゃん、そばにいて。

一緒にいるだけで、もういいとよ。

 

かんなの事を話すのは、死んだとき以来かもしれませんね。

固いコンクリートの鍵のかかった箱に入っていましたから。

かんなはちょうど0時に死んだのですが、その日の午前中に子猫たちが5匹やってきたんですよね。

ジジィが昼までに保健所につれていかんといかんから、途中に店があったから寄った。と

まぁ、普通に断りますけど、あたしは持ち込みは受けませんから。

そのジジィが言い放った言葉は「あんたこんな仕事しちょってからよ」とかでした。完全にブチ切れた私は、子猫を見せろと、店の中にはまだ入れるなと。

車のトランクには、アホかと言うくらいガムテープでとめてあった箱。いつも思うけど捨てる人てなんで箱なんですかね。ま、ビニールよりいいけど。

でも、その時にこのジジィまじでこのまま行くわ。言う事ももちろんですが、その箱見た時ですよ、ゴミですよゴミ。

箱見た時点でアウトだったし、箱の持ち手のとこまでガムテープだったんですけど、それはがして中を見て、のぞいたらミャミャって言ってましたから。

乳飲み子だったら準備がいるし、1匹だけかと聞いたら、あと4匹おって捕まえたら連れて行く事になっていると・・・予約制か!捕獲器貸してやるから連れて来い、全部連れて来い!!でも3日しか待たん!!

こんなんに入るもんかと言ってましたが、捕獲器に入らない猫はいないです。うちは100パーですから。ましておなかの空いている子猫。1時間2時間もしないうちに全員来ました。予想通り。その子だけうちの子になるなどありえない、うちで見るなら5匹全員に決まっている。

さっさと塩まきたいのに、この子たちが捕獲器の中に入っているのを写真撮ったり、聞きもしないのにエサをやっているメス猫が産んだと。その猫はかわいいと。子猫はまた子供産むかいいらんと。その思考とか心とかってどうやって形成されるのだろう・・・。

「あ~いかったいかった、はーこれで夜も眠れるわ」と。いちいちあたしの逆鱗に触れる。

かんなを看取り、まだかんなを火葬する前で一秒でもかんなのそばにいたい時に・・・心身果てているのに。

一番腹が立つのは、まじで毎回毎回思うのは、あんたたちね!いいことをしたと思ってるだろうが!!いっちばんそれがムカつく!!

真夏に箱に入ってて、熱中症手前で捨てられた子にも、しあわせにね。と書いてありました~。

箱は蹴り飛ばしました~それぐらい腹の立つことです。ジジィはHPとか見ないでしょうか、大抵、捨てたやつ見てるでしょうから。

院長先生が、載せるから・・・とおっしゃられた事がありますが、目に留まる人が一人でもいるならと、チャンスを一つでもとリスクは覚悟の上。

これこそが、真逆。いや向きではない、「別」、だ。

一番やっかいなのは人間ですよ、この仕事してて常々思うのは。

 

ばんびをはじめ、小型だけなら今ここにいないと思います。

でも、かんなとぱいんがいたから、明るいおてんとうさまの下でお散歩させてやりたかったから

思いっきり甘えさせたかったから、ペットちゃんとして知らない事全部してやりたかった。

てゆーか、あたしがこの子たちと離れる事ができなかったからですね。

ここまでシリアスになる事はないかもしれませんし、個人差は大きいですが「ペットロス」と言う症候群もあります。

他人事ではないんですよ。

私もペットロスの症状にあてはまることはたくさんあります。

相手は犬や猫、早い遅いもある。ぶっちゃげ人が死ぬより悲しい気がする・・・。

それだけ、犬や猫を飼うことは、かけがえのないこと、素晴らしいこと、この上なく贅沢な事でもある。

一度は、チャンスがあって真剣に考え、がんばることができれば本当に飼ってもらいたい。

犬の気持ちが分かるようになると、うっ。ってなる時ある。分かるようになるんだよね。お互いに雰囲気だけで。でもあたしの方が気が付かない事が多いけど、みんな我慢強いし黙ってるから。

 

衝動買いなんて絶対だめだからね。ぶっとばすよ。

押さえきれなくなる衝動がまきおこるはず。

その時は一回、あたしんとこ来なさい。

もしうちのこでなくても、一緒にそこへ行って決めてやるわ(笑)

またおいで(^_^)

 

なってないならなってないって言えばいい。

売る側も、買う側も。

買う側もけちょんけちょん言えばいい。

売る側もけちょんけちょん言えばいい。

ディスカッションその場ですればいい。(冷やかしはよくないけど)

純血は守るべきだと思う。

犬は用途と原産国、用途が違えば性質も体格も違う。性質体格:飼育法がちがう。何よりサイズが違いすぎる。

例えばうちのお母さんは自由だ。母に犬を渡すとしたらマルチーズを渡すだろう。ラブラドールは渡せない。

私たちは自由だ。

100年後くらいの見事な法律や日本経済に期待するしかないから。

さ。がんばろ。

つか、ねよっか・・・。

んじゃ、みんなまた明日(^_^)

今日はチャコちゃんたちのママとスカイくんのママにひかりとあってもらえてうれしかった。

がんばってるからね!

チャコママ!採血くらいでブーブーいわんと!(笑)

うちも、パグのはなちゃんとはまちゃんちのアトムがタメなんだけど、今度検査いくわ~うん。

 

追記:猫はさ。

猫が近づけられた理由は、用途はネズミとり、基本。

大きさはオスメスが多少違うだけで、室内去勢避妊でほぼ純血も雑種も飼育法はほぼ変わらない。

私もきゅーちゃんというアメリカンショートヘアのミラクルスーパー両親アメリカンCHの子がいたけど、美しかった。柄。柄がすごい。あと、スタイル。

それはそれは、ほれぼれした。きゅーちゃんはアメリカンショートヘアに多い心臓(心筋梗塞)で8歳で死んでしまった。

しかし素晴らしい純血だった、純血種の素晴らしさも十分これまでいろんな子に教わった。

きゅーちゃんはアメショーでもレベルが違ったのでさらにそれがよく分かった。

ザ、アメリカンショートヘアでした、良く食べ、運動量もすごくあった。アメショーは6畳1間じゃ飼えないからね。

イギリスからサンフラワー号に乗ってアメリカに付いて、ガンガンハンターだったんだよ。改良されあのすばらしいタビーが作出された。日本の猫は魚ってイメージだけど、猫は肉よ。ハンターですから。

でも、優次郎と同じことしてましたけどね、ぷ。あたしは、サビ猫が飼いたい!サビをまた飼いたいな~。

ま、ねこちゃんはわざわざあたしが売る必要はない。個体差、飼育法に大きな違いがない事や純血も素晴らしいけど、春先ミーミー来るし、めぐるいるし(^_^)

でわまた。